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  • 【固定費削減】都内移住を機に保険を見直したら、家の売却益が「最強の保険」だと気づいた話

    (本記事はアフィリエイト広告を利用しています)

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    都内への移住、特に文京区のようなエリアへの引っ越しを考えると、どうしても「生活費が上がるのではないか」という不安がつきまといませんか? 僕も流山おおたかの森に住んでいた頃はそうでした。住宅ローン、車の維持費、そして万が一のための保険料……。これらを抱えたまま都内に移り住むのは、正直なところ無謀に思えました。

    しかし、実際に引っ越しを決断し、生活環境をガラリと変える過程で、僕は家計の「大掃除」を行いました。その結果、見えてきたのは「漠然とした不安のために払い続けていたコスト」の多さと、「現金(キャッシュ)という最強の盾」の存在です。

    今回は、都内移住をきっかけに行った「保険と固定費の見直し」について、僕の実体験をお話しします。これから住み替えを検討している方、あるいは日々の固定費に圧迫感を感じている同年代のお父さんたちにとって、少しでも家計をスリム化するヒントになれば嬉しいです。

    不安をお金で買っていた「おおたかの森」時代

    まずは、僕の以前の保険事情について正直にお話しします。 結婚し、子供が生まれてからの僕は、とにかく「責任」という言葉に縛られていました。

    「もし自分が死んだら、家族はどうなる?」 「もし癌になったら? 長期入院になったら?」

    そんな不安を打ち消すかのように、僕はありとあらゆる保険に加入していました。 生命保険、医療保険がん保険、子供のための学資保険。さらに「念のため」と県民共済にも加入し、まさに保険のフルコース状態。

    その結果、どうなっていたかというと、保険料だけで月々4万円から5万円近くが口座から引き落とされていたのです。 年間にすれば約60万円。10年で600万円です。当時の僕は、それが「家族を守るための必要経費」だと信じて疑いませんでした。でも、心のどこかで「本当にこれでいいのか?」というモヤモヤも抱えていました。家計は常に圧迫され、貯蓄のペースも上がらない。それでも、「保険に入っている」という事実だけが、唯一の精神安定剤だったのです。

    引っ越しという「強制リセット」

    転機が訪れたのは、流山おおたかの森から文京区への引っ越しを決めた時でした。

    以前の記事でも書きましたが、僕たちは都内への移住にあたり、郊外の広々とした一戸建てを手放し、車も売却しました。

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    生活の拠点を移すということは、ライフスタイルそのものを再構築するということです。そこで僕は、「せっかくだから家計もゼロベースで見直そう」と決意しました。 「なんとなく」で続けていたサブスクリプションや、惰性で払っていた会費。それら一つ一つにメスを入れていく中で、最も大きな固定費である「保険」に向き合うことになったのです。

    利用したのは、ネットで見つけたファイナンシャルプランナー(FP)の無料相談サービスでした。 「保険を見直したい」と相談した僕に対し、FPの方は僕の加入状況を見て、冷静に、しかしはっきりとこう言いました。

    「旦那さん、これ、ちょっと掛けすぎですね」

    「守り」のコストを半分にする

    プロの視点は鋭いものでした。 僕の保険は、内容が重複していたり、公的な保障で十分にカバーできる範囲まで民間の保険で厚塗りしていたりと、無駄が多かったのです。

    FPの方のアドバイスを受け、僕は以下の指針で保険の組み換えを行いました。

    1. 医療保険を薄くする: 日本の医療制度は優秀です。ちょっとした入院程度なら貯蓄で賄えると割り切りました。

    2. 「働けなくなるリスク」に備える: その代わり、大黒柱である僕が長期間働けなくなった場合の「就業不能保険」や、万が一の時の死亡保障はしっかりと確保しました。

    3. 重複をカット: 県民共済は解約しました。

    この「断捨離」の結果、どうなったと思いますか? 月々5万円近くかかっていた保険料は、なんと約半分の2万円台にまで下がりました。 月2万円以上の浮いたお金は、年間で24万円。これは大きいです。都内の家賃相場が高いと言っても、固定費をこれだけ削れれば、十分に戦える計算になります。

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    家を売って手に入れた「最強の保険」

    しかし、今回の見直しで僕が一番痛感したのは、保険料の削減額以上のことでした。それは、「家を売却して得た現金こそが、最強の保険である」という真実です。

    僕たちが流山おおたかの森の家を売却した際、幸運にも約2,000万円の売却益(譲渡益)が出ました。 この2,000万円は、次の家の頭金として全額使い切るのではなく、手元のキャッシュとして確保しています。

    この時、ふと気づいたのです。 「もし僕が癌になっても、この2,000万円があれば、最先端の治療でも何でも受けられるじゃないか」と。

    極端な話、民間の医療保険をすべて解約したとしても、手元にこれだけの現金があれば、ほとんどのリスクに対応できます。保険会社に手数料を払って「安心」を買わなくても、自分自身の資産が「安心」そのものになっていたのです。

    もちろん、性格的に「ゼロにする」のは怖かったので、最低限の保険は残しています。しかし、「いざとなればキャッシュがある」という余裕は、月々の保険料を支払うこと以上の精神的な安定を僕にもたらしてくれました。

    公的制度という「見えない防具」を知る

    もう一つ、見直しの過程で学んだ重要なことは、「国の制度を正しく知る」ことの大切さです。

    皆さんは「高額療養費制度」について、どのくらい理解していますか? 年収にもよりますが、一般的な会社員であれば、ひと月にどれだけ医療費がかかっても、自己負担額は概ね8万円〜10万円程度で済みます(食事代や差額ベッド代は別ですが)。 つまり、100万円の手術を受けても、窓口で払うのは10万円程度なのです。

    さらに、会社員の方なら、勤務先の健康保険組合が独自の「付加給付」を持っている場合もあります。僕の場合も改めて確認してみると、会社からの手厚い保障があることがわかりました。

    これら「公的な防具」と「会社の防具」をすでに装備しているのに、さらにその上から高額な「民間の防具(保険)」を重ね着していたのが、以前の僕でした。重すぎて動きにくかったのも当然です。 まずは自分がすでに持っている「見えない防具」の性能を確認する。民間の保険を検討するのは、それからで十分だと痛感しました。

    まとめ:家計のスリム化が「余白」を生む

    文京区に引っ越してきてから、僕は移動を「電車+徒歩」に変え、車も手放しました。そして今回お話ししたように、保険という固定費も大幅に削減しました。

    これら一連の「スリム化」を通じて感じるのは、生活の贅肉を落とすことは、単なる節約以上の意味があるということです。

    固定費が下がれば、毎月稼がなければならない金額のハードルが下がります。 「これだけ稼がないと生活が破綻する」というプレッシャーから解放されると、心に「余白」が生まれます。 その余白があるからこそ、子供の教育にじっくり向き合ったり、週末に文京区の坂道を散歩したりする余裕が生まれるのだと思います。

    家を売る、住む場所を変えるというのは、確かに大きなエネルギーが必要です。 しかし、それは同時に、これまで当たり前だと思って払い続けていた「固定費」や「しがらみ」をリセットする絶好のチャンスでもあります。

    もし今、都内への住み替えを検討しながらもお金の不安を感じている方がいたら、一度ご自身の「固定費」を棚卸ししてみてください。 もしかしたら、家の売却益と固定費の削減で、想像以上に身軽で自由な生活が待っているかもしれませんよ。

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  • 【家探し】SUUMO敗北?文京区で理想の家を見つけたのは「アナログな散歩」だった話

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    都内への住み替えを本気で検討し始めたとき、皆さんはまず何から始めますか? おそらく、多くの方がポケットからスマートフォンを取り出し、SUUMOやHOMES、at homeといったポータルサイトのアプリを開くところからスタートするのではないでしょうか。

    僕もそうでした。 通勤電車の中、昼休みの隙間時間、そして子供が寝静まった後のリビングで。 「文京区 戸建て 3LDK 駅徒歩10分以内…」 検索条件を保存し、新着通知が来るたびに画面をタップする日々。

    でも、結論から言います。 僕が今住んでいるこの文京区の自宅に出会ったのは、デジタルの画面の中ではありませんでした。 今回は、僕が実際に文京区で家を購入するに至った、ちょっとアナログで、でも激戦区の都内では一番確実かもしれない「家探しのプロセス」についてお話しします。

    ネットの情報だけで一喜一憂し、なかなか理想の物件に巡り会えずに疲弊しているパパさんたちのヒントになれば嬉しいです。

    郊外と都心、「家探し」のルールは全く違う

    以前の記事でも触れましたが、文京区に来る前、僕は千葉県の「流山おおたかの森」に住んでいました。

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    あの頃(2009年頃)の家探しは、今思い返すと非常に穏やかでした。 開発が進む郊外では、数十戸単位の大規模な分譲地がドーンと販売されます。週末に家族で現地販売センターへ行き、完成済みのモデルハウスや更地の区画をゆっくり見学する。 「A号棟もいいけど、日当たりならB号棟かな」「いや、角地のC号棟も捨てがたいね」 そんな風に夫婦で話し合い、翌週にファイナンシャルプランナーと資金計画を相談して、そのまた翌週に決める。 検討にはある程度の「時間的な猶予」があり、それはまるでショッピングモールで家具を選ぶような、楽しい悩みのある時間でした。

    しかし、子供の成長と共に都内への住み替えを決意し、いざ文京区で家を探し始めると、その常識は通用しないことに気づかされました。 ここは成熟した住宅街。そもそも広大な空き地などありません。市場に出るのは、古家が解体された後の、一軒家がやっと建つかどうかの小さな土地(ミニ開発)や、単発の売り地ばかりです。

    そして何より驚いたのが、その「スピード感」です。 ポータルサイトにお目当てのエリアの物件情報が出て、「お、これ良さそうじゃん。今度の土曜日に見に行ってみようか」と妻と話している間に、サイトからその情報は消えています。

    「掲載されました!」という通知を見て開いた時には、もう誰かが買い付けを入れている。 「あ、もう売れました」 不動産屋さんに問い合わせても、返ってくるのはこの言葉ばかり。

    都内の不動産市場は、想像以上に流動性が高く、まさに「椅子取りゲーム」の状態でした。 郊外でのんびり家を買った経験しかなかった僕は、このスピード感に完全についていけず、しばらくの間、ただ指をくわえて画面上の物件が「成約済み」になるのを見送るだけの日々が続きました。

    スマホを置いて、街へ出よう

    「このままでは一生買えない」 そう悟った僕は、戦術を根本から変えることにしました。

    ネット検索に張り付く時間を減らし、その分、体を動かすことにしたのです。 具体的には「住みたい街を、自分の足で歩く」。これに尽きます。

    休日のたびに文京区へ通い、Googleマップを見るのではなく、あえて地図を持たずに路地を歩き回りました。 画面上では「駅徒歩○分」という数字でしかありませんが、実際に歩くと様々な情報が入ってきます。 「この坂道は意外とキツイな」「ここの商店街は活気があって買い物が楽しそうだ」「一本裏に入ると驚くほど静かだな」

    自分の五感で街の雰囲気を確かめることで、「住みたいエリア」の解像度が上がっていきました。 そしてもう一つ意識したのは、街にある「昔ながらの不動産屋さん」への訪問です。 駅前にある大手チェーンではなく、ガラス戸に手書きの物件図面がペタペタと貼ってあるような、地元の老舗店。入りにくい雰囲気はありますが、勇気を出して飛び込みました。

    ネットには載らない、地主さんから直接預かっているような「水面下の情報」や、これから売りに出る予定の「未公開情報」は、意外とこういう場所に眠っています。 たとえその場ですぐに良い物件がなくても、「このエリアで探している」と顔を覚えてもらうだけで、ネット検索組より一歩リードできるのです。

    その「看板」は突然現れた

    そんな「アナログ作戦」を続けていたある日のこと。 文京区内でも特に「この辺りの落ち着いた雰囲気、好きだなあ」と感じていたエリアを散策していた時でした。

    住宅街の中に、ポツンと更地になっている一角がありました。 フェンスで囲われたその土地の前に、工事現場によくある「建築計画のお知らせ」のような、小さな立て看板が立っていたのです。

    ふと目をやると、「新築分譲予定」の文字。 そしてその下には「価格7,000万円前後」という、文京区の新築にしては現実的な数字が書かれていました。

    (…これだ!)

    直感が走りました。 まだ建物はおろか、基礎すらできていない更地です。ネットにはまだ載っていない(あるいは載る前の)情報のようでした。 しかし、場所は最高です。 都営三田線東京メトロ南北線の2路線が徒歩圏内で使える利便性がありながら、大通りから一本入った閑静な場所。

    看板をよく読むと、権利形態は「借地権」とありました。 所有権にこだわっていたら、このエリアでこの価格は絶対にあり得ません。土地の所有権を持たない代わりに、価格を抑えて「立地」と「住環境」という実利を取る。 これまでの家探しで養った相場観が、「これは買いだ」と告げていました。

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    僕はその場で、看板に書かれていた不動産屋さんの携帯番号に電話をかけました。 「今、看板を見ているんですけど、詳しく話を聞かせてもらえませんか?」

    そこからの展開は早かったです。すぐに営業さんと会い、別の場所にある同仕様のモデルルームを見学させてもらいました。 住宅の質や設備もしっかりしており、何より「ここでの生活」が具体的にイメージできた。

    僕は、まだ家が建っていないその更地を、その場で購入する決断をしました。 もし一旦持ち帰って検討していたら、その間にネットに情報が掲載され、またたく間に他の誰かに奪われていたでしょう。

    都内の家探しは「ネット通販」ではなく「釣り」

    今振り返ると、都心での家探しは、Amazonで商品をポチる「ネット通販」とは全く別物でした。 カタログ(検索サイト)を見て、気に入ったものをカートに入れれば届く、という世界ではありません。

    どちらかと言えば「釣り」に近いです。 いつどこで魚(良い物件)が現れるかわからない。 家でネットという「魚群探知機」だけを眺めていても、実際の魚は釣れません。

    現場(街)に行き、糸を垂らし(不動産屋を回り)、水面の変化(更地や看板、建築計画)に目を光らせる。 そして、浮きが沈んだ(物件が出た)瞬間に、迷わず竿を合わせる(即電話する・決断する)。 この「現場感覚」と「瞬発力」こそが、ライバルの多い都内で理想の家を手に入れるための、泥臭いけれど唯一の方法だったのだと思います。

    もちろん、7,000万円という金額は決して安くはありません。僕のような一般的なサラリーマン家庭にとって、借地権とはいえ、この決断が怖くなかったと言えば嘘になります。 でも、今の家での暮らし、通勤の楽さ、子供の教育環境、そして週末に家族で楽しむ文京ライフを考えると、あの時、散歩の途中で看板を見つけ、即座に電話をかけた自分を褒めてあげたい気持ちです。

    もし今、都内への住み替えを検討していて、ネット検索だけで「いい物件がない」と疲弊してしまっている方がいたら、ぜひ一度、スマホを置いてその街を歩いてみてください。 あなたを待っている「看板」が、どこかの路地裏にひっそりと立っているかもしれませんよ。

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  • 【都内戸建て】「パパの部屋」は7畳から4畳へ。流山おおたかの森を離れて手に入れた「新しい居場所」

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    都内への住み替えを検討し始めたとき、多くのお父さんたちが密かに抱える「恐怖」があります。 それは、「自分の部屋がなくなる(あるいは極端に狭くなる)」ことではないでしょうか?

    郊外の広い戸建てなら当たり前のように確保されていた書斎や個室。それが都内の狭小住宅となると、どうしても家族のスペースが優先され、パパの居場所は後回しになりがちです。

    「せっかく都内に引っ越しても、家の中で肩身の狭い思いをするのは嫌だなぁ……」 そんなふうに足踏みしてしまう気持ち、痛いほどよく分かります。

    実は僕自身、約12年住んだ流山おおたかの森の40坪の家から、文京区のコンパクトな3階建てに引っ越す際、自分の部屋は「7畳の洋室」から「4畳の納戸」へと劇的にサイズダウンしました。

    正直、引っ越す前は不安でした。 「4畳って、もはや部屋じゃないんじゃないか?」 「荷物は入りきるのか?」 「息が詰まるような生活になるんじゃないか?」

    しかし、実際に住んでみて4年。 意外に思われるかもしれませんが、僕は今の「4畳の納戸」の方が、以前の「7畳の個室」よりも圧倒的に快適だと感じています。

    なぜ広さを捨てて、今の満足感を得ることができたのか。 今回は、スペックダウンしたはずの書斎が、逆に僕のライフスタイルを豊かにしてくれた実体験をお話しします。

    これから都内への住み替えを検討している方の、ちょっとした勇気になれば嬉しいです。

    なお、僕がなぜ住み慣れた流山を離れて文京区へ来たのか、その経緯については過去の記事で詳しく書いています。

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    建築基準法上は「納戸」。4畳の現実と工夫

    現在、僕に割り当てられている部屋は、広さ約4畳。 日当たりが悪いため、建築基準法上は「居室」として認められず、間取り図には「サービスルーム(納戸)」と記載されていた部屋です。

    以前の流山の家では、日当たりの良い2階に7畳の自分専用の部屋がありました。 シングルベッドを置き、大きめのL字デスクを置き、壁一面に本棚を置いても、まだ床でストレッチができるくらいの余裕がありました。

    それに比べると、今の部屋はまさに「コックピット」です。 入居当初、この狭さをどう攻略するか悩みましたが、僕は思い切ってある決断をしました。

    それは、「ベッドを捨てる」ことです。

    4畳の部屋にベッドを置いてしまうと、それだけで部屋の大部分が埋まってしまいます。そこで僕は、ベッドの代わりに「すのこ型の除湿マット」と「布団」を採用しました。

    朝起きたら、布団を畳んで壁に立てかける。 そうすると、4畳の空間がまるまるフリースペースになります。 部屋にある家具は、仕事や読書をするためのコンパクトなデスクと、椅子が一脚だけ。

    「狭くて不便じゃないの?」と聞かれることもありますが、これが全くそんなことはないんです。

    よく思い出してみると、流山の7畳の部屋にいた頃、僕はその広さを有効活用していたかというと、決してそうではありませんでした。 広いからといって、部屋の中を歩き回るわけでもない。結局はデスクの前か、ベッドの上か、定位置に座っている時間がほとんどでした。

    今の4畳の部屋は、椅子に座ったまま手を伸ばせば、必要な資料にも、飲み物にも、充電器にも手が届きます。 無駄な動線がない分、むしろ機能的だとさえ感じています。

    広さという「余白」は、必ずしも豊かさには直結しない。 これは、狭小住宅に住んでみて初めて気づいた、大きな発見でした。

    狭いからこそ生まれた「清潔」という習慣

    もう一つ、狭い部屋になってから劇的に変わったことがあります。 それは、「掃除の習慣」です。

    お恥ずかしい話ですが、7畳の部屋を使っていた頃は、掃除がおろそかになりがちでした。 床面積が広いと、部屋の隅にホコリが溜まっていても「まあ、週末にまとめてやればいいか」と見て見ぬふりをしてしまう。ルンバにお任せして、自分ではあまり手を動かさないこともありました。

    ところが、4畳の部屋で布団生活をしていると、そうはいきません。 毎朝布団を畳むとき、フローリングが自分の目の高さに来ます。 そうすると、髪の毛一本、小さなホコリ一つが、ものすごく目立つんです。

    「あ、汚れてるな」 そう気づいた瞬間、部屋が狭いので、サッと粘着カーペットクリーナー(コロコロ)やハンディモップで拭き取るのに1分もかかりません。

    この「気づいたらすぐやる」というサイクルが、狭いがゆえに自然と身につきました。

    結果として、僕の部屋は以前よりも常に清潔な状態が保たれています。 視界に入るノイズが減ったことで、仕事や読書への集中力も上がりました

    「整理整頓しなきゃ」と気負わなくても、手が届く範囲にモノがあるから、使ったらすぐ戻す。汚れたらすぐ拭く。 このシンプルな動作が習慣化されたことで、精神的なストレスが驚くほど減ったのです。

    「パパの部屋はいつも散らかっている」なんて家族に言われていた僕が、今では家の中で一番きれい好きになったかもしれません(笑)。

    文京区という「街」そのものを書斎にする

    家の中のスペースが限られている分、僕の意識は自然と「家の外」に向くようになりました。 これが、都内・文京区への住み替えで得られた最大のメリットかもしれません。

    流山に住んでいた頃は、家が広くて快適すぎたため、休日はどうしても家の中に引きこもりがちでした。 もちろんそれはそれで幸せな時間でしたが、生活が家の中だけで完結してしまい、刺激が少ないのも事実でした。

    文京区に引っ越してからは、「家は体を休める場所(スリーピングスペース)」と割り切り、作業や読書、インプットの時間には「街」を使うようになりました。

    文京区は「文教地区」と呼ばれるだけあって、学びを促進する環境が街全体に整っています。

    徒歩圏内には、落ち着いた雰囲気の個人経営のカフェがたくさんあります。 チェーン店も便利ですが、マスターのこだわりが詰まったカフェでコーヒーを飲みながら本を開くと、自宅の書斎以上に没頭できます。

    また、区立図書館や大学図書館も充実していて、アカデミックな空気が街全体に漂っています。 週末、ふらっと図書館へ行き、静寂の中で調べ物をする。疲れたら近くの公園で少し歩く。

    まるで、文京区という街全体が、拡張された僕の「書斎」になったような感覚です。

    家の中の4畳は、あくまで自分をメンテナンスするためのコックピット。 そして一歩外に出れば、無限に広がるライブラリーとカフェスペースがある。

    この「家」と「街」の役割分担ができたことで、僕の生活には以前よりもメリハリが生まれました。 ずっと家に籠もっているよりも、外の空気に触れながら思考を整理するほうが、新しいアイデアも浮かびやすい気がしています。

    まとめ

    「都内への住み替え=狭さへの我慢」 引っ越す前は僕もそう思っていました。

    でも今は、「広さを手放したことで、身軽さと機能性を手に入れた」と感じています。

    4畳の納戸でも、工夫次第で快適な「自分だけの城」は作れます。 むしろ、限られたスペースだからこそ、本当に必要なものだけを選び取る力がつき、思考もクリアになります。

    そして、狭くなった分、街に出てその土地の魅力を使い倒す。 そんなライフスタイルへの転換こそが、都内狭小住宅の醍醐味なのかもしれません。

    もし、かつての僕のように「今の広い家を手放すのが惜しい」「都内に行きたいけど、狭い家で暮らせるか不安」と悩んでいるパパがいたら、自信を持って言いたいです。

    「案外、なんとかなります。むしろ、今より楽しくなるかもしれませんよ」と。

    もちろん、住み替えには「気持ち」だけでなく「資金計画」も重要です。 僕たちが流山の家を売却し、どのように資金を捻出したのか。そのリアルな数字の話については、また別の記事で詳しく書いていますので、こちらもぜひ参考にしてみてください。

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  • 【通勤の壁】流山おおたかの森から文京区へ。飲み会帰りの「終電の絶望」が「不忍池の夜風」に変わった話

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    世のお父さん方、飲み会の帰りはどうしていますか? 「終電ダッシュ」、「満員電車の窓ガラスに張り付く自分」、「寝過ごして見知らぬ終点駅に降り立った時の絶望」……。

    僕も3年前までは、その「戦場」の最前線にいました。 今日は、郊外(流山おおたかの森)から都心(文京区)へ引っ越して劇的に変わった「飲み会後の世界」について、僕の実体験をお話しします。

    正直、この変化だけで「引っ越してよかった」と思えるレベルです。

    流山おおたかの森時代の「つくばエクスプレス」との死闘

    以前住んでいた流山おおたかの森は、街としては最高でした。 でも、都内勤務の僕にとって、飲み会帰りのつくばエクスプレス(TX)」だけは、まさに試練でした。

    新宿や六本木で飲んだ後、まず秋葉原へ移動します。この時点ですでにヘトヘトなんですが、そこからが本番。 特に金曜日の夜なんかは、すし詰め状態。お酒が入った体で、揺れる車内に立ち続けるのは、吐き気や足の痛みとの戦いでした。

    「寝たら死ぬぞ」というプレッシャー

    運良く座れたとしても、地獄は続きます。 TXは一駅の区間が長いし、酔っているのでついウトウトしてしまうんですよね。

    ハッと気づいた時には、終点のつくば駅。 上り電車はもう終わっています。あの時の、「やってしまった……」という血の気が引く感覚、経験ある方も多いのではないでしょうか。

    秋葉原での野宿か、1万円のタクシーか

    終電を逃して秋葉原に取り残されたことも何度かあります。 僕は歯科技工士という仕事柄、翌日の診療のためには清潔感が命です。そのまま職場に行くわけにはいきません。一度家に帰って、お風呂に入って着替える必要があるんです。

    そうなると選択肢は一つ。タクシーです。 秋葉原から流山まで、深夜料金で1万円数千円が飛んでいきます。 財布も心も痛い。そんな失敗談が、当時は日常茶飯事でした。

     

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    文京区に住んで気づいた「終電を気にしない」という最強の贅沢

    文京区に引っ越してから、僕の「飲み会観」は180度変わりました。 一言で言うと、「どうにでも帰れる」という安心感です。

    都内23区内であれば、どこも距離が近い。終電時間を気にしながら時計をチラチラ見る必要がなくなりました。

    上野・御徒町からの「クールダウン散歩」

    最近は、上野や御徒町界隈で飲むのが好きです。 下町のいい雰囲気で飲んだ後、酔い覚ましに歩いて帰るのが僕の新しいルーティンになりました。

    特にお気に入りは、上野公園の不忍池(しのばずのいけ)周辺のルート。 夜風にあたりながら、静かな水面を眺めて歩く時間は、最高のクールダウンになります。 以前の「満員電車の息苦しさ」とは真逆の、「夜の静寂を楽しむ」時間。

    同僚たちが「じゃあ、駅まで走ります!」と慌てる中で、「僕は歩いて帰るよ」と言える瞬間。 性格が悪いかもしれませんが、正直、少し優越感に浸っています(笑)。

    「GO」で呼ぶタクシーは、自分への投資

    もちろん、歩くのが億劫な時や雨の日はタクシーを使います。 ここで活躍するのが、タクシーアプリの「GO」です。

    • 予約ができるので待ち時間ゼロ
    • 行き先もアプリで指定済みなので、乗るだけでOK
    • 運転手さんが皆さんとても親切

    何より大きいのが料金です。 都内間の移動なので、かかっても3,000円〜4,000円程度。 以前の1万円オーバーに比べれば、かわいいものです。たまに車種のグレードを上げて、革張りのシートでゆったり帰ることもあります。

    「飲み会なんて滅多にないんだから、帰りの移動くらい贅沢してもいい」 そう思えるようになったのは、時間と心に余裕ができたからこそです。

    翌日のパフォーマンスが段違い

    結果として、翌日の体調が劇的に良くなりました。 二日酔いでの早起き出勤や、満員電車のダメージがないので、翌朝もスッキリ起きられます。

    「住む場所を変えることは、時間の使い方を変えること」

    もし今、通勤や終電のストレスで疲弊しているお父さんがいたら、一度「都内への住み替え」をシミュレーションだけでもしてみてほしいです。

    「都内の家なんて高くて無理」と思うかもしれません。僕もそう思っていました。 でも、郊外の持ち家が、想像以上に高く評価されることもあります。僕の場合も、おおたかの森の家が良い条件で売れたからこそ、今の「不忍池を散歩して帰る生活」があります。

    まずは「今の家がいくらになるか」を知るだけでも、心の視界が開けるかもしれませんよ。

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  • 【文京区への引越し】狭小住宅の洗礼!サカイ引越センターの「プロ技」と見積もり交渉術

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    今回は、流山おおたかの森から文京区への「引越し当日」のお話です。

    郊外の広々とした戸建てから、都内の狭小住宅へ。 引越しが決まった時、一番の懸念点は「物理的な狭さ」でした。 特に文京区の住宅街は道が入り組んでいます。見積もりの段階から、業者さんとはその点を入念に打ち合わせをして当日を迎えました。

    今回は、事前に準備していても起きてしまった「想定外の事態」と、それを乗り越えたサカイ引越センター神対応、そして数万円安くするための交渉術についてシェアします。

    一括見積もりの「電話の嵐」をどう乗り切るか

    引越しが決まってまずやったのが、一括見積もりサイトへの登録です。

    登録ボタンを押した瞬間、携帯が鳴り止まない「電話の嵐」。着信履歴があっという間に埋め尽くされる様子には、何度経験しても正直なところ圧倒されます。

    でも、ここが勝負どころです。 僕は今回、一番最初に電話をくれた「サカイ引越センター」を中心交渉することにしました。もちろん、ただ言い値で受けるわけではありません。

    他の中小規模の業者からも見積もりを取り、「相場」を把握した上で担当営業さんにこう切り出しました。

    「他社の方が安いけど、この金額より下げてくれたら即決します」

    結果、担当の営業さんが「会社に確認します…!」と頑張ってくれて、当初の提示額から2〜3万円のダウンに成功。

    一括見積もりの対応はエネルギーを使いますが、この「比較材料」を手に入れるためと思えば、時給換算で数万円の仕事です。ここを乗り切るだけで新居の家具代くらいは浮きますので、パパとしては頑張る価値があるポイントです。

    事前の入念な打ち合わせと、当日の作業

    さて、引越し当日。 流山の旧居での搬出は、筋肉隆々のスタッフさんが到着し、広々とした環境であっという間に作業完了。

    問題は新居のある文京区への搬入です。 僕が選んだエリアは、車がすれ違うのもやっとの路地。当然、大きな引越しトラックを横付けすることはできません。

    これについては見積もり時に営業さんとしっかり話し合い、「トラックは100mほど離れた大通りに駐車し、そこから台車でピストン輸送する」という計画を立てていました。 手間賃などでコストは上がりますが、そこは必要経費。当日はスタッフさんが長い距離を何度も往復してくれて、ここまでは予定通りに進んでいました。

    ここで想定外!「階段から入らない」

    トラックの駐車場所も確保し、台車での運搬も順調。「よし、これならスムーズに終わる」と思った矢先、新居の中でスタッフさんの動きが止まりました。

    「階段が狭くて、家具が2階のリビングに上がりません」

    これは完全に想定外でした。 道の狭さはケアしていましたが、家の中の階段の曲がり角までは計算しきれていませんでした。

    「まさか、家具を捨てるしかないのか…?」 一瞬そんな不安が頭をよぎりましたが、現場のリーダー格のスタッフさんが即座に判断を下しました。

    「2階のリビングの大窓を外して、そこから入れましょう」

    急遽、2階の大きな窓枠ごと取り外し、下からロープで荷物を吊り上げる「吊り上げ搬入」に切り替えることに。 応援のスタッフも合流して5名体制となり、声を掛け合いながら、傷ひとつつけずに巨大な家具を窓から吸い込ませていく連携プレー。

    その判断の速さと、窓を外してまで搬入を完遂させるプロ意識には感服しました。 若いスタッフさんたちの雰囲気も良く、こちらの不安をよそに終始笑顔で対応してくれたのが印象的でした。

    まとめ:厳しい条件こそ大手が安心かも

    結果として、文京区のような「道が狭い」「家が入り組んでいる」という悪条件の引越しこそ、臨機応変に対応できる経験豊富な業者の力が光ると感じました。

    もし、これから都内への住み替えを検討している方がいたら、事前の道路確認はもちろんですが、「万が一の時の対応力」がある業者を選ぶことを強くおすすめします。 プロはお金の分、しっかり仕事をしてくれます。

    僕たちが「快適な郊外」を手放してまで、なぜわざわざこの「狭い都内」へ来たのか。その理由はこちらの記事でも詳しく書いています。

    引越しは大変ですが、それを乗り越えた先にある「職住近接ライフ」は快適ですよ。

     

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  • 【教育費の裏技】貯金ゼロでも私立中学へ!家の売却益をあえて「頭金に入れない」という選択

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    今回は、ちょっと生々しいお金の話をします。 これからお子さんが高学年になり、中学受験など教育費の壁に直面するであろう同世代のパパさんに向けて、僕の恥ずかしい実体験をシェアしたいと思います。

    正直に言います。 流山おおたかの森に住んでいた頃の僕は、貯金がほぼゼロでした。

    貯金ゼロで突きつけられた「私立中学受験」という選択肢

    当時、35年ローンで買った40坪の戸建てに住み、週末はショッピングモールへ。 はたから見れば順風満帆な生活だったと思います。 でも内実は、毎月の給料が生活費とローンで右から左へ消えていく自転車操業状態。ボーナスでなんとか赤字を埋める、そんなギリギリの家計でした。

    そんな我が家に、ある日転機が訪れます。 公立中に進むものだと思っていた長男が、まさかの「都内の私立中学に行きたい」と言い出したのです。

    子供の成長は嬉しい。高い目標を持つのも素晴らしい。 でも、僕の頭に浮かんだのは「お金」のことだけでした。

    私立中の学費は年間100万円以上、高いところでは200万円近くかかります。それが6年間。さらに塾代。 当時の僕の通帳残高では、どう計算しても無理でした。 「気持ちはわかるけど、うちは公立で……」 そう言いかけましたが、子供の真剣な眼差しを見て、言葉を飲み込みました。

    4000万円の家が「埋蔵金」に変わった日

    そこで動き出したのが、都内への住み替え計画です。 現状を打破するには、環境を変えるしかない。そして何より、今の家を売ることで資金を作れないかと考えたのです。

    おそるおそる一括査定に出してみると、結果は驚くべきものでした。 12年前に4000万円で購入した流山の自宅が、なんと5500万円で売却できたのです。

    ローンの残債を返済しても、手元には約2000万円以上の現金が残る計算になります。 まさに、自宅という名の「埋蔵金」を掘り当てた気分でした。

    なぜ、売却益を「頭金」に入れなかったのか

    ここからが、今回の記事の本題です。 通常、家の買い替えで利益が出たら、次の家の頭金に入れてローンを減らしますよね? 借金は少ないほうがいい。それがセオリーだと思います。

    でも、僕はその売却益を、次の家の頭金には一円も入れませんでした。

    その代わり、手元に残った約2000万円をそのまま銀行口座に残し、「子供の学費+塾代+投資」として聖域化(ロック)することにしました。

    理由はシンプルで、「金利差」です。 住宅ローンの変動金利は0.4%〜0.5%程度。 一方で、もし手元の現金を頭金で使い果たし、後から学費が足りなくなって「教育ローン」を借りれば、金利は2%〜3%かかります。

    それなら、低金利の住宅ローンを親(僕)が長く借り続け、手元に「低コストで調達した現金」を置いておくほうが、家計としての安全性は高いと判断しました。また、新NISAも同時にはじめました。オールカントリーやSP&500などの銘柄に投資をしておけば、年利5~6%の利益が見込めるからです。

    いわば、「親のローンで、子供の未来の時間を買った」わけです。

    「現金がある」という精神安定剤

    結果として、僕は都内でまた35年ローンを組み直しました。 借金の額面だけ見れば、以前より増えています。

    でも、不思議と不安はありません。 通帳を見れば、そこには子供が大学を卒業するまで払えるだけの現金が入っているからです。 「いざとなれば、ここから出せばいい」 毎月の給料日は相変わらずカツカツですが(笑)、このバックアップがあるだけで、精神的なプレッシャーは雲泥の差です。

    まとめ:まずは足元の資産を確認することから

    もし今、「私立に行かせたいけどお金がない」と悩んでいる方がいたら。 節約も大事ですが、一度「足元の資産価値」を確認してみることをおすすめします。

    売る・売らないは別として、「我が家にはこれだけの含み益がある」と知るだけで、人生の選択肢(逃げ道)が生まれます。 僕のように、家に眠っていたお金が、子供の夢を叶えるチケットになる可能性だってありますから。

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  • 【狭小住宅のリアル】40坪から15坪へ。文京区に住んで3年、正直「不便だな」と痛感する10のこと

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    これまでの記事では、都内への住み替えによって「通勤時間が往復3時間から1時間になった」「資産価値が上がって精神的に楽になった」という、ポジティブな面を中心にお話ししてきました。

    しかし、光があれば影もあります。 千葉県の流山おおたかの森で住んでいた「40坪・2階建て・庭付き」の家から、文京区の「15坪・3階建て・庭なし(いわゆるペンシルハウス)」へ。 物理的な広さが半分以下になったことで、生活の勝手が悪くなった部分は確実に存在します。

    今回は、これから都内の狭小住宅を検討している同世代のパパさんに向けて、不動産屋の広告には載っていない、住んでみて初めてわかった「リアルな不便さ」を10個、包み隠さず記録しておきます。

    良い面も悪い面も知った上で比較検討する材料にしていただければと思います。

    15坪・3階建てで直面した「10の壁」

    1. 友人を「泊める」機能の喪失 

    これが個人的には一番の心残りであり、少し寂しさを感じる点です。今の家には客間がありません。予備の布団をしまう押し入れもありません。つまり、物理的に「友人を泊める」ことが不可能です。

    流山に住んでいた頃は、息子のサッカー部の友達が週末によく泊まりに来て、リビングに雑魚寝して合宿所のように賑やかでした。また、僕の友人が遊びに来て、深夜まで飲んでそのまま泊まっていくこともありました。 しかし今は、どれだけ盛り上がっても「泊まっていけば?」とは言えません。終電で帰ってもらうか、どうしてもという時は近くのビジネスホテルを取るしかありません。我が家が「みんなが集まる拠点」ではなくなったのは、少し寂しい変化です。

    2. 窓を開けると「隣の壁」まで数十センチ

    都心の住宅密集地あるあるですが、隣家との距離は驚くほど近いです。手を伸ばせば届きそうな距離に、お隣の外壁があります。 「日当たり」は南向きなどを選べば時間帯によっては確保できますが、「抜け感(眺望)」はほぼゼロです。

    窓を開けても壁しか見えませんし、視線も気になるので、基本的には一年中レースカーテンを閉め切った生活です。流山時代、窓を開けて庭の緑を眺めていたあの「視覚的な開放感」は、完全に失われました。

    3. 朝の玄関・洗面所は「満員電車」状態

    狭小住宅は、廊下や玄関ホールといった「移動のためのスペース」を極限まで削っています。その弊害が最も出るのが、朝の通勤・通学時間帯です。

    家族4人が同時に出かけようとすると、玄関のタタキ(靴を脱ぎ履きする場所)が大渋滞します。誰かが靴紐を結んでいると、他の家族はそれをまたぐか、廊下で待機するしかありません。 洗面所も同様で、一人が使っていると後ろを通るのがやっと。毎朝、「ちょっとごめん」「通るよ」という声を掛け合う連携プレーが必要です。

    4. 季節モノの「収納テトリス」に疲れる

    収納スペースが激減したため、扇風機、加湿器、五月人形、クリスマスツリー、そして家族4人分のスーツケースといった「かさばるモノ」の居場所確保に苦労します。

    屋根裏収納や、階段下のデッドスペースにパズルのように詰め込んでいく作業は、まさにテトリス。何か一つ出すために、手前の荷物を全部出さなければならないこともあり、出し入れだけで一仕事です。

    5. 「あ、スマホ忘れた」時の絶望感(3階建ての弊害) 

    3階建てに住んで最も膝に来るのがこれです。 1階の玄関で靴を履き、鍵もかけ、「さあ行くぞ」というタイミングで、3階のリビングにスマホや財布を忘れたことに気づいた時の絶望感。

    「またあの階段を上るのか……」 急いでいる朝に限ってこれをやってしまい、息を切らして駅に向かうことも少なくありません。生活動線が垂直移動になることのデメリットです。

    6. ゴミの日までの「待機場所」問題

    流山の家には勝手口があり、外に大きなゴミ箱を置くスペースがありました。しかし今は、ベランダも狭く、勝手口もありません。 結果、週2回の回収日まで、ゴミ袋を室内の隅や狭いベランダに置かざるを得ないことがあります。

    夏場などは特に、生ゴミの臭い対策が死活問題です。高機能な密閉ゴミ箱を買うなど、余計な出費と気苦労が増えました。

    7. 家の中での「気候変動」(3階は灼熱)

    暖かい空気は上に行く性質があるため、屋根に近い3階の部屋(主に子供部屋や私の書斎)は、夏場は猛烈に暑くなります。帰宅してドアを開けると、熱気でムワッとするあの感覚。エアコンが効くまで時間がかかります。

    逆に、1階(寝室・水回り)は日が当たりにくいため、冬場は底冷えします。同じ家の中なのに、フロアによって気温が5度以上違う感覚です。

    8. トイレの音がリビングに届いてしまう

    ワンフロアの面積が狭いため、どうしてもLDKとトイレの距離が物理的に近くなります。 もちろんドアはありますが、食事中や団欒中にトイレの音が聞こえるのは気まずいものです。

    家族だけならまだしも、子供の友達やママ友が来ている時などは、大人は音を気にしてトイレを我慢しがちになります。「音姫」のような擬音装置が欲しくなる瞬間です。

    9. 家の前での「荷下ろし」ができない

    駐車場がないだけでなく、前面道路も幅3m未満という狭さです。 たまにレンタカーを借りたり、タクシーで帰宅したりしても、家の前に車を長く停めることはできません。

    後続車が来たらアウトなので、ハザードを焚いて、慌てて荷物を降ろし、車を発進させる。常に「後続車が来ないか」を気にして冷や汗をかく作業になります。優雅に荷造り、なんてことはできません。

    10. 老後の不安(階段問題)

    今は40代で足腰も丈夫なので、「階段は毎日のジム代わり」とポジティブに捉えています。 しかし、自分が70代、80代になった時、この急勾配の階段を毎日上り下りできるのか? 風邪を引いた時や、足を怪我した時はどうするのか?

    「終の住処」として考えると、3階建て狭小住宅はバリアフリーとは対極にあるため、一抹の不安がよぎります。

    それでも「住み替えてよかった」と思う理由

    書き出してみると、結構な数の不便さがありますね(笑)。 ただ、誤解のないようにお伝えしたいのは、これだけデメリットがあっても、僕たち家族は「引っ越さなければよかった」とは一度も思っていないということです。

    なぜなら、これらの不便さは「工夫」と「割り切り」でなんとかなるレベルだからです。

    • 友人が泊まれない → 近くで飲んで帰ってもらうか、外で会うスタイルに変えてメリハリがついた。

    • 収納がない → 本当に必要なモノ以外を買わなくなり、無駄遣いが減った。

    • 老後の不安 → 子供が巣立ったら売却して、また夫婦で住みやすいところに移ればいい(資産価値があるエリアだからできる選択)。

    人間、不思議なもので「慣れ」ます。 そして何より、これらの不便さと引き換えに手に入れた「通勤時間の短縮(往復2時間の自由)」や「子供の通学のしやすさ」というメリットの方が、今の我が家のライフステージにとっては、圧倒的に価値が高かったのです。

    まとめ:100点満点の家はない

    家選びはトレードオフです。 「広さ」を取れば「時間(通勤)」が犠牲になり、「利便性」を取れば「広さ」や「静けさ」が犠牲になります。

    もし、あなたがこの「10個のデメリット」を見て、「うわ、絶対無理!」と思うなら、都内への住み替えはやめた方がいいかもしれません。 でも、「まぁ、それくらいなら許容範囲かな」「メリットの方が大きいな」と思えるなら、あなたは都心暮らしに向いているかもしれません。

    大事なのは、メリットだけでなく、こうした「痛み」を事前に知っておくこと。 痛みを知った上で選んだ道なら、きっと後悔はしないはずです。

     

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  • 【文京区の洗礼】流山から移住して痛感した「坂道」の正体と、その先にある「資産価値」

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    今回は、お金や家の表面的なスペックの話から少し離れて、実際に文京区に住んでみて肌で感じた「街の骨格」とも言える地形についてお話ししようと思います。 これから都内、特に文京区のような山の手エリアへの住み替えを検討している方にとって、この「地形」の話は日々の生活の質はもちろん、資産価値や防災の観点からも無視できない重要な要素になるはずです。

    平坦な楽園「流山おおたかの森」での日々

    僕が以前住んでいた流山おおたかの森は、関東平野の恩恵を一身に受けた、本当に穏やかな地形の街でした。 元々が田んぼや畑だった場所を開発した街ですから、地盤がとにかく平らです。30代の頃は、変速機すらない普通のシティサイクルで、駅前のショッピングモールから少し離れた公園まで、風を切ってどこへでもスイスイと移動していました。

    ただ、40歳を迎える頃でしょうか。ふとした瞬間に「あれ、自転車のペダルが重いな」と感じるようになりました。自転車の不調ではなく、明らかに自分の体力の低下です。 そこで導入したのが電動自転車のサブスクリプション(月額レンタル)でした。当時はまだ車も所有していましたが、近場の移動を楽にするための軽い気持ちでの選択でした。しかし、この偶然の決断が、後の文京区移住において僕の生活を救うことになります。

    地理学で紐解く「なぜ文京区は坂だらけなのか」

    文京区への引越しが決まり、実際に生活を始めてまず驚愕したのは、その圧倒的な「高低差」でした。 坂を下ったかと思えば、息つく暇もなく次の急勾配が立ちはだかる。それはまるで波打つ海原のような地形です。なぜ、これほどまでに坂が多いのでしょうか。

    少し地理学的な視点でこの街を見てみましょう。 文京区は、広大な武蔵野台地の東端にあたります。この台地が長い年月をかけて神田川やその支流によって侵食され、深く削り取られた結果、台地と低地が複雑に入り組んだ地形が形成されました。

    具体的には、区内には「関口台」「小日向台」「小石川台」「白山台」「本郷台」という5つの舌状台地が存在します。まるで巨人が台地の上に手を置き、その指の間が谷(低地)になったような構造をしています。 僕たちが日々上り下りしている「坂」とは、この台地(高台)と谷(低地)を行き来するための、いわば「台地の側面」なのです。

    このダイナミックな地形こそが文京区の正体であり、平坦な流山とは決定的に異なる点でした。

    坂道で交差する「文豪たち」の足跡

    日々の移動で息を切らすことになるこの高低差ですが、単なる「生活の障壁」だけで終わらないのが文京区の奥深いところです。この坂道の多くには、江戸時代からの歴史と物語が刻まれています。

    例えば、千駄木にある「団子坂」。 かつて森鷗外が近くに住み、夏目漱石の作品や江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』の舞台にもなったこの坂は、急な勾配とともに明治の文豪たちの気配を色濃く残しています。電動自転車のアシストを借りてこの坂を登る時、ふと「漱石もこの勾配を歩き、物語を構想したのだろうか」と思いを馳せることがあります。

    あるいは、本郷にある「菊坂」。 かつて樋口一葉が生活に困窮しながらも通った質屋の蔵が今も残り、路地裏には当時の井戸が現存しています。細く長く続く坂道は、一歩踏み入れるだけでタイムスリップしたような錯覚に陥ります。

    流山時代には感じられなかった、「土地そのものが記憶を持っている」という感覚。ただの移動経路だった「道」が、歴史と物語を含んだ「舞台」に変わる瞬間です。

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    実利としての坂道:水害リスクと治安

    情緒的な面だけでなく、実は「坂の上(高台)」に住むことには、資産防衛や安全面での合理的なメリットも存在します。

    一つ目は「水害リスクの低減」です。 近年、ゲリラ豪雨や台風による浸水被害がニュースになりますが、ハザードマップを見ると一目瞭然です。谷底の低地エリアに浸水予想が出る一方で、台地の上である高台エリアはほとんど影響を受けません。物理的に高い場所に住むということは、それだけで水害に対する強力な保険となります。

    二つ目は「治安と防犯」です。 一般的に、高台は古くからの武家屋敷や大名屋敷があった場所が多く、現在でも落ち着いた高級住宅街が形成されています。地盤が良く、見晴らしの良い場所には、自然と質の高いコミュニティが生まれる傾向にあります。 また、物理的な側面として、泥棒は逃走経路の確保が難しい坂道や階段の多いエリアを嫌うという説もあります。文京区が23区内でもトップクラスに治安が良いとされる背景には、こうした地形的な特性も少なからず影響しているのかもしれません。

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    登りきった先に広がる「東京のパノラマ」

    そして最後に、僕がこの過酷な坂を愛してやまない個人的な理由をお伝えします。それは、坂を登りきった後に待っている「ご褒美」のような景色です。

    ある日の夕暮れ時、電動自転車で長い坂を登りきり、ふと視界が開けた瞬間のことです。 東の空を見上げれば、夕焼けに染まる雲を突き抜けるように、東京スカイツリーがその鋭利なシルエットを浮かび上がらせていました。その足元には下町の屋根が密集し、新旧の東京が混ざり合う不思議なコントラストを作り出しています。

    また別の日、高台から西の方角を望めば、そこには新宿副都心の高層ビル群が屏風のように立ち並んでいました。ガラス張りのビルたちが西日を反射して輝き、その巨大な質量が東京という都市のエネルギーを無言で物語っている。

    低層住宅が中心だった流山では、空は広かったものの、こうした「都市のレイヤー」を感じることはありませんでした。自分の足で高みへ登り、そこから都市を見下ろすという行為。それは、東京という街のダイナミズムを全身で感じる体験でもあります。

    結論:都内住み替えにおける「足」の正解

    結論として、文京区をはじめとする都内の高低差があるエリアに住むのであれば、電動アシスト自転車」は贅沢品ではなく、必須のインフラであると断言できます。

    40代を過ぎ、仕事に子育てに追われる僕たちパパ世代にとって、移動で体力を消耗しすぎるのは得策ではありません。小回りが利き、どこへでも行ける自転車の利便性を享受しつつ、身体への負担を最小限に抑える。そのためにはテクノロジーの力を借りるべきです。

    僕のようにサブスクリプションを利用して初期費用を抑えるのも賢い選択ですし、長く住む覚悟で高性能な一台を購入するのも良いでしょう。街中には「ドコモ・バイクシェア」や「LUUP」などのシェアサイクルも溢れています。まずは週末にこれらを借りて、実際に坂道を走ってみることから始めてみてはいかがでしょうか。

    その坂の先には、きっと平坦な道では出会えなかった、心を震わせる景色や歴史、そして「安心して住める土地」との出会いが待っているはずです。

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  • 【文京区の物価事情】「スーパーは高級店ばかり」は大嘘。コストコ依存を卒業した僕がたどり着いた、都心の「分散型」買い物術

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    都内への住み替えを検討する際、多くの方が懸念するのが「生活コストの上昇」です。 特に、家計を預かるパートナー(奥様など)から必ずと言っていいほど出るのが、こんな不安の声ではないでしょうか。

    「山手線の内側なんて、物価が高すぎて生活できないんじゃない?」 「スーパーも成城石井クイーンズ伊勢丹みたいな高級店ばかりで、大根1本300円とかするんでしょ?」

    流山おおたかの森に住んでいた頃の僕も、全く同じ偏見を持っていました。 「教育環境や通勤の便はお金で買えるが、その代償として食費などの生活レベルは上げざるを得ない」と覚悟を決めて引っ越してきたのです。

    しかし、実際に文京区に住んで3年。家計簿をつけてみて分かった事実は、意外なものでした。 結論から言うと、食費の総額は流山おおたかの森時代とほとんど変わっていません

    なぜ、物価が高いはずの都心でそれが可能なのか? 今日は、郊外特有の「大量消費スタイル」から、都心特有の「分散型・適量消費スタイル」へ移行した僕の実体験を、具体的な店舗名を挙げながら分析していきたいと思います。

    誤解だらけの「文京区セレブ説」と客観的な店舗事情

    まず、文京区のスーパー事情について、客観的な事実を整理しておきましょう。 確かに、文京区は治安が良く、教育熱心な家庭が多いエリアですが、住んでいる人全員が富裕層というわけではありません。古くからの下町情緒が残るエリアも多く、生活に根ざした庶民的なお店が数多く存在します。

    僕が住んでみて驚いたのは、スーパーの選択肢の多さです。

    【文京区周辺の主なスーパーのラインナップ】

    いかがでしょうか。「高級店しかない」というのは完全な誤解です。 ライフやサミットなど、郊外でもおなじみのスーパーが主戦場であり、価格設定も他エリアと大きく乖離しているわけではありません。特売日には卵も安くなりますし、野菜の価格も季節変動の範囲内です。

    むしろ、人口密度が高い分、店舗間の競争があり、消費者にとっては選びやすい環境が整っていると言えます。

    コストコ・モール依存」からの脱却

    食費が変わらなかった最大の要因は、お店の価格差よりも、僕たち家族の「買い物スタイルの変化」にあります。

    流山に住んでいた頃、我が家の買い物は「週末のイベント」でした。 車を出して、ららぽーと流山おおたかの森SC、あるいは少し足を伸ばして三郷のコストコへ行く。巨大なカートを押し、1週間分の食材をドカッとまとめ買いし、40坪の家の大きな冷蔵庫とパントリーに詰め込む。

    これは一見効率的ですが、実は「見えないコスト」がかかっていました。

    • 「せっかくだから」買い: 巨大な店舗に行くと、つい不要なお菓子や新商品をカゴに入れてしまう。
    • フードロス: 大量に買った野菜や肉を使い切れず、冷蔵庫の奥で腐らせてしまう。
    • 移動コスト: ガソリン代や車の維持費。

    一方、都内に来て車を手放し、家も15坪になりました。当然、巨大な冷蔵庫を置くスペースはありません。 物理的に「まとめ買い」ができなくなった僕たちがたどり着いたのが、「その日食べる分を、その日の最安値で買う」というスタイルです。

    都内生活を支える「最強の使い分け」リスト

    都内、特に文京区周辺で生活コストを抑えるコツは、1つのスーパーですべてを揃えようとしないことです。 徒歩や自転車で回れる範囲に、特定のカテゴリーに特化した「尖った店」が点在しています。これらをパズルのように組み合わせるのが、都心流の買い物術です。

    実際に我が家がヘビーユースしている「文京区の家計防衛・三種の神器」をご紹介します。

    •  ①お肉なら「肉のハナマサ 「プロ仕様」の黄色い看板でおなじみのハナマサ。都内には店舗が多く、文京区内や近隣にも点在しています。 ここはとにかく肉のコストパフォーマンスが圧倒的です。鶏肉2kgパックや、豚肉の塊などが驚くほど安く手に入ります。 「業務用でしょ?」と敬遠するなかれ。小分けにして冷凍すれば、一般家庭の強い味方になります。育ち盛りの息子がいる我が家にとって、ハナマサなしの生活は考えられません。
    • ② 野菜なら「スターフルーツ 文京区周辺(白山など)に展開する、地域密着型の青果店です。 店先にはダンボールに入った野菜が山積みされ、店員さんの威勢のいい声が飛び交う、昔ながらの八百屋さんのような雰囲気です。 ここの魅力は、破壊的な安さ。「小松菜3束100円」「トマト一箱298円」といった、スーパーではありえない価格に遭遇することが多々あります。おしゃれさはありませんが、鮮度と価格は本物です。
    • ③ 魚なら「吉池(よしいけ)」 これは文京区内ではありませんが、自転車や電車ですぐの御徒町(上野エリア)にある「鮮魚のデパート」です。 プロの料理人も仕入れに来る有名店で、ビル丸ごと食料品店になっています。魚だけではなく、野菜も充実しています。特に1階の鮮魚コーナーは圧巻で、見たこともないような種類の魚が並んでいます。 スーパーでは味わえない新鮮な魚が安く手に入るため、「今日は刺身をたらふく食べよう(超豪華舟盛りが驚きの価格!!)」「今日は手巻き寿司パーティーにしよう」「美味しい鍋にしよう」という週末は、迷わずここへ行きます。このアクセス性の良さも、文京区の隠れたメリットです。

    「コンビニ代わり」の小型スーパーという発明

    もう一つ、都心生活で特筆すべきは「まいばすけっと(イオン系)」や「マルエツプチ」の存在です。 文京区を歩いていると、コンビニよりも頻繁に見かけるのではないかと思うほど、これらの小型スーパーが路地裏に点在しています。

    コンビニと同じくらいの広さですが、価格はスーパーマーケット基準。 「牛乳がない」「納豆が食べたい」「調味料が切れた」 そんな時、郊外ならコンビニで定価で買うか、車を出してスーパーに行くしかありませんでした。

    しかし文京区なら、徒歩数分でイオン価格の商品が手に入ります。 我が家では、これらの小型スーパーを「自宅の冷蔵庫の拡張版」と捉えています。家に在庫を抱えなくても、街中に在庫がある。だから、家の冷蔵庫は小さくていいのです。

    結論:街全体を「巨大なパントリー」にする発想

    郊外での生活が「自宅に巨大な倉庫(パントリー)を持つ生活」だとしたら、都内での生活は「街全体を自分のパントリーとして使い倒す生活」です。

    必要な時に、必要な分だけ、一番得意な店で買う。 移動は徒歩か自転車なので、余計なものを買いすぎて持ち帰れなくなることもありません。

    結果として、我が家ではフードロスが激減しました。 単価で見れば、郊外の激安スーパーより数十円高いものもあるかもしれません。しかし、「無駄買い」と「廃棄」がなくなり、さらに車のガソリン代もかからないため、トータルの収支は驚くほど健全化しました。

    「都内は物価が高いから暮らせない」 そう思い込んでいるパパさんがいたら、僕は声を大にして言いたいです。

    「大丈夫です。ハナマサスターフルーツがあれば、僕たちは十分に戦えます」

    もちろん、記念日にはデパ地下や成城石井で、少し贅沢なワインやチーズを買うこともあります。 「節約もできるし、贅沢もできる」。 この選択肢の広さと、それを自在に使い分けられる機動力こそが、都心生活の本当の豊かさなのかもしれません。

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  • 【資産戦略】売却益2000万あっても頭金ゼロ。僕があえて「フルローン」を選んだ理由

    こんにちは。文京区在住の歯科技工士、文京ライフです。

    今回は、流山おおたかの森から文京区への住み替えにおける、僕なりの「お金の戦略」についてお話しします。

    過去の記事でも触れましたが、流山の家を売却したことで、手元に約2000万円の売却益が残りました。 「次の家の頭金にして、月々の支払いを楽にする」 これが一般的なセオリーかもしれません。

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    でも結論から言うと、僕は次の家の頭金には1円も入れず、あえて「35年フルローン」を組みました。

    「え、金利もかかるし入れたほうが良くない?」 「借金は少ないほうがいいでしょ?」

    そう思われるかもしれませんが、これには僕なりの明確な理由と、10年後を見据えた戦略があるんです。

    手元の2000万円は「心の安定剤」にする

    なぜ頭金を入れなかったのか。最大の理由は「現金(キャッシュ)の強さ」です。

    僕たち子育て世代、これから一番お金がかかる時期に突入しますよね。特にここ文京区は中学受験がスタンダードな地域。塾代、学費…これから湯水のようにお金が出ていくことが確定しています。

    そんな時期に、数千万円単位の現金を家の壁(頭金)に変えてしまっていいのか?と考えました。

    もし頭金に入れてしまえば、月々の返済は数万円安くなるかもしれません。でも、急にまとまったお金が必要になった時、家の一部を切り取って売ることはできません。

    逆に、手元に2000万円があれば:

    • 子供の進学の選択肢を狭めなくて済む
    • 不測の事態(病気や休職)があっても数年は生きていける

    この「心の安定感」は、何にも代えがたいものです。 ちなみに、この資金はただ銀行に眠らせているわけではなく、新NISAなどを活用して運用に回しています。「お金に働いてもらう」ことで、金利分以上のリターンを目指すという算段です。

    住宅ローンは「最強の保険」である

    もう一つ、あえてフルローンを選んだ大きな理由が「団信(団体信用生命保険)」です。

    ご存知の通り、住宅ローンを組むとこの保険に入れます。もし僕に万が一のこと(死亡や高度障害など)があれば、その時点でのローン残債はチャラになり、ゼロになります。

    ここでシミュレーションしてみましょう。

    • A:頭金2000万入れて、借入を減らしたケース 僕が死んだら、ローンは消えるが、手元の現金は少ないまま。
    • B:頭金ゼロで、手元に2000万残したケース 僕が死んだら、ローンは消える。しかも、家族の手元には2000万の現金が丸々残る

    残された家族の生活を考えると、Bの「家も残って、現金も残る」状態のほうが圧倒的に安心感が高いですよね。だから僕は、住宅ローンを「パパの命を担保にした最強の生命保険」だと割り切って、借りられるだけ借りることにしました。

    「でも、そんなフルローン戦略、銀行が許してくれるの?」 と思われるかもしれません。特に僕が買った土地は「借地権」という少し特殊な条件でしたから。でも、意外とスムーズにいったんです。

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    文京区の家は「消費」ではなく「資産」

    「借金=悪」と感じないのは、購入した文京区の物件を「資産」として捉えているからです。

    車や家電は買った瞬間から価値が下がりますが、文京区(特に文教地区)の不動産はそうではありません。 都心への回帰傾向、教育環境へのあくなき需要…。これらを考えると、今後10年で価値が暴落するリスクはかなり低いと見ています。

    借金を抱えたのではなく、「将来値上がりが期待できる資産を、銀行のお金を使って確保した」という感覚に近いですね。

    10年後の「出口戦略」を見据えて

    正直なところ、今住んでいる文京区の家に35年間住み続けるつもりはありません。

    これは子供が独立するまでの、あくまで「期間限定」の拠点だと考えています。 10年後、子供が巣立てば、僕ら夫婦に広い家も、都心の利便性もそこまで必要なくなるかもしれません。

    その時は、この家を売却します。 資産価値が維持できていれば、売却益がまた手元に残ります。それを元手に、今度は夫婦で少し郊外の、自然豊かな場所へ移住してもいい。

    「買って、住んで、高く売って、また次へ」

    家に縛られず、ライフステージに合わせて軽やかに移動する「住み替えループ」。これこそが、変化の激しい時代を生きる僕たち世代の最適解ではないかと思っています。

    今の家の資産価値や、住み替えのタイミング。 一度立ち止まって「戦略」を練ってみると、新しい選択肢が見えてくるかもしれません。

    そもそも、なぜ僕が理想の郊外生活を手放してまで、この「戦略」を選んだのか。その原点については、こちらの記事で詳しく書いています。

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